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黎明期
1955〜1967
(戦後〜S42年)
故郷を遠く隔て、東京に出てきている故郷「加治木」に学んだ 同窓の士による会という形で集まっていた。
1968
(S43年8月)
初の「在京同窓会」を都内<三福会館>で約80名が出席して開催。
母校より村野守次校長、川畑三喜男教頭、上原実教 務主任の各先生方をお迎えしての集りであった。この席で木原保氏(旧制中学29期) が代表幹事に就任。
1969〜1972
(S44年〜47年)
全国校長会議に出席するため上京される校長先生をお招きしての同窓会という形でそのタイミングに合わせて開催された。
東京龍門会創設へ
1973〜1974
(S48年〜49年)
若松文保会長のもと、同窓会名簿の整備、会則の改正等を 行い「東京龍門会」の基盤が着々と整備されていった。
同時期、母校では創立80周年行事の準備が進められ、東京龍門会も400万円を寄付。
昭和53年6月 会長職を3期6年務めた若松文保会長が勇退。2代目会長として国分和夫氏(中26期)が選出され就任。
発展期を迎える
1975〜1978
(S50年〜53年)
昭和48年6月2日、「同窓会・関東支部」として会合を開催。その日を機に当会を  「東京龍門会」として 発足することにした。初代会長として、若松文保氏(中26期)が選出された。
昭和49年、会員名簿(旧制中学〜高11期までの540名を収録)を作成。並びに会則 の制定を行った。
成長期を迎える
1979〜1983
(S53年〜58年)
会の基盤作りが成り、「東京龍門会」は本来の目的である『親睦』の輪を、ゴルフの集い、釣りの集い、囲碁の集いと拡げていく。どの同好会でも新制高校卒業の同窓生の活躍目覚しく毎年、優勝、準優勝を狙う猛者が現れた。
昭和56年5月財団法人鹿児島県立加治木高等学校教育振興会に204万円を寄付。
安定した成長期へ
1984〜
(S59年〜
旧制中学卒業の先輩方の努力により安定して成長していた「東京龍門会」も「 新制高校卒業の会長」への移行時期との声も出てきた。
昭和59年5月、国分和夫氏は3期6年の任期を終了。新制高校卒業の若い世代へのバトンタッチが行われ、3代目会長として今村彬氏(高2期)が選出される。
昭和59年〜平成9年までの7期14年
中38期の村山喜一氏が第48代衆議院議員副 議長に就任。平成3年〜平成5年の3年間の総会は衆議院議員副議長公邸で開催。総会出席者も空前の250名を越す盛会となった。
同時期、母校で創立100周年を迎えようとしており、その記念事業の一つとして「同窓会館建設」が進められていた。東京龍門会にも募金協力依頼があり平成9年6月の総会において 100万円寄付の寄付が提案可決された。それにより東京龍門会より『母校創立100周年記念式典』時100万円を寄付した。
平成10年5月 今村彬会長が7期14年に渡る会長を辞任。4代目会長に酒匂昭男氏(高3期)選出された。
世の中は“パソコン時代”に なり、会員名簿の整備、個人データ管理、保護が進められ、平成3年 、これまでの在関東地区同窓生の名簿は収録会員数2200余名になった。
その一方で、若手同窓生、女性会員も参加しやすい魅力ある会の運営を目指すとともに、親元を離れ勉学に励む現役同窓生の参加も年々増え始めた。
平成14年6月 会員の居住範囲が東京だけでなく首都圏全域に及んでいる状況を鑑み、総会において、長年親しんできた『東京龍門会』の名称を『関東龍門会』へ変更することになった。同時に、規約の改正も実施。
同年、2期4年会長を務めた酒匂昭男氏(高3期)勇退。第5代会長として朝倉正昭氏(高11期)が選出された。

記事提供:酒匂昭男(昭和26年卒) 杉田脩(昭和31年卒)
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